Web新連載が始まりました!

ヒトと自然の生き物たちの“境界線”

自然界の報道写真家・宮崎学氏のファインダーが捉えた、現代における人間と野生動物とのボーダーライン、そこから浮き出てくる自然界からのメッセージについて、氏の撮影による写真の数々と文章で綴る連載コラム。
>>第一回第1回 連載を始めるにあたって――視点を変えて自然を眺める
ECOJAPANにて、2週間に一度更新されます。ぜひご覧下さい  >>ECO JAPAN
ブログ新着 宮崎学の今日のヒトコマ (自然界の報道写真家gakuの写真日記)

わが家の野菜畑

197041月1日



ほんのお遊びだけど、ボクは小さな菜園を楽しんでいる。
そこに昨秋、エシャレットを植えてみた。
近所の「道の駅」で食用に10個ばかり150円で売っていたものを、ためしに植えてみたのだった。
いや、これが元気に育って、なんと10倍以上の子供を生産してくれたのである。



エシャレットは、早い話が「らっきょう」である。
浅く植えたのを「らっきょう」といい、深く植えたのを「エシャレット」というそうな。
まあ、味はどちらも同じ。
どのように食べるかといえば、生のまま味噌つけて齧るのである。
これが、ビールにもよく合い、ボクにとっては最高に美味しいからである。



そんなわけでためしに植えたのだが、あまりにも多い収穫量に自分でも驚いている。
肥料も何も施さず、ただ、土のなかに球根を埋めれば、8ヶ月後には大収穫となったからだ。
こんなにカンタンなら、もっと作ろうと、これから畝づくりである。
お遊びだけど、土をいじっているだけでいろいろなことが見えてくるから楽しい。

写真上:エシャレットの葉。
写真中:根張りも立派なエシャレットの収穫。
写真下:味噌つけてポリポリ齧るのがいちばん美味しい。

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ブログ新着 宮崎学のツキノワグマ事件簿 (ツキノワグマ最新取材記)

ツキノワグマはなぜヒノキの皮はぎをして枯らすのか…?

ここ数年、ヒノキやスギなどの人工林にも目を向けている。 これらの人工林は、自然界には「無駄」なような考え方をされている方も多いので、人工林の位置づけを自分なりに見てみたいからだ。 そんな人工林が、ツキノワグマによって樹木の皮をはがされて枯れ死するケースが近年になって増加している。 植林をして、20年、30年、50年という時間が経ってから熊にいきなり、枯らされてしまうのである。 これは、林業者にとっては甚大な損失になり、植林してからの時間がすべて無駄になってしまうことでもある。 自分なりに調査してみると、50年近く経ったすばらしいヒノキやスギ林が全滅しているところもある。 また、全滅まではいかなくても、3割、5割といった被害林も少なくない。 それなのに、まったく被害の出てない人工林もあるし、少しずつ小規模な被害が目立ちはじめている林もある。 このような被害に気づいている山林地主もあれば、まったく知らないまま日々過ごしているところもある。 ツキノワグマがこのように樹木の皮を傷つけるのには、それなりに理由があるにちがいない。 そうでなければ、生きている樹皮をわざわざ剥ぐこともないだろう。このような「皮?ぎ」には、実は2つのパターンがある。 樹木を枯らすためと、枯らさずに生かせていくためのパターンがあるからだ。 このパターンを見分けるのもクマの行動に理由のあることに気づくのだが、樹木を枯らすための皮?ぎは幹の全周を派手に?くからすぐに分かる。 生かせるためのパターンは、一箇所だけを傷つける、ことである。 樹木を枯らせるための皮?ぎ痕には、必ず甘皮を絞った「歯形」がついているのが特徴である。 これは、樹木が病気ないしは不健康な状態となり、木が生きるための自己防衛をはかり、樹液の糖度をあげている可能性がある。 そうなった樹木を、鼻のいいツキノワグマは外部から瞬間的に見抜き、樹皮を?がしてしまうからだ。 この行為は、弱った木から甘い樹液をいただきながら、樹木を「死刑」にしているのではないかと思う。 森を舞台に生きているツキノワグマだから、大切な森の住人である樹木を死刑にするということはそれなりに理由があるのだろう。 ここまで考えてみると、クマによる皮?ぎに遭いそうな人工林は土壌や樹木の健康調査を重ねることである程度の予測ができる気がしてならない。 ボクには、今後どのような環境下にある人工林がツキノワグマの皮?ぎ被害に遭うのか予想ができるようになった。 これには、ある共通のパターンがあり、このようなことは林業試験場とか林野関係者がすでに気づいていなければならないことだし、今後研究すればいいことなので、写真家がここで言及することもあるまい。 とにかく、写真家としての視点で人工林を見ていくと、「被害」に遭いそうな林とそうでない林がちゃんと見えてきているからだ。 これを立証するには、まだまだ時間がかかるだろうが、クマと森の関係がこうした皮?ぎ行動からでも明瞭に見えてくるのがボクには、実に面白いと思っている。 写真上:スギの幹の匂いを嗅ぐツキノワグマ。 写真中:立ち枯れてしまった樹齢25年ほどのヒノキの植林木。 写真下:皮?ぎ痕と歯形など。

松枯れ現象を歓迎するツキノワグマ

長野県でも、松枯れ現象がひたひたと進んでいる。 この30年間に、松林が完全になくなってしまったところもある。 また、今現在も順次進行中な山野はたくさんある。 このような松枯れは、1本、2本と枯れて、徐々に進行していくので、その変化にほとんどの人が気づいていない。 「ああ、松が枯れている…な」くらいの視点でみているだけで、その松が枯れてから倒木になり、それがどう変化していくかまで気をまわせるような人は、いないからである。 しかし、ツキノワグマの食痕などを見ていくと、この松枯れによって倒れてしまった枯れ木が、少なからずツキノワグマに食糧を提供していることがわかる。 ツキノワグマは、ドングリだけを食べていると思っている人は多い。 だが、何百種類もの食事メニューをもっている。 その一つには、初夏から秋にかけて倒木に巣食うアリや各種昆虫類をかなり好んで食しているからである。このような昆虫たちの棲家を提供しているのが、倒木なのである。 樹木は生きているときには、それなりに森を形成しながら意味もある。 その樹木が死んで倒木となってしまっても、こんどは生きている樹木たちの栄養源となるためにその使命をまっとうする。 そのプロセスで、多種多様な昆虫類が自然環境の湿度や乾度などのかね合いから微妙な活動を続け、死んでしまった樹木を大地に還すために蠢くからである。 これらの昆虫類が、ツキノワグマの貴重な食糧になるからだ。 そんなツキノワグマの食事痕が山野には数多くみられるから、マツクイムシによる松枯れ現象はある意味ツキノワグマには歓迎されている、と思っていいのである。 写真上:今年の3月、福井県で見た松枯れも見事だった。 写真中:枯木、倒木のツキノワグマ食痕。 写真下:マツクイムシを殺すためにビニールで囲って薬剤処置もするが、こうした薬剤もツキノワグマにとっては「良薬」になっている可能性もある。

マツクイムシとツキノワグマの生息地

「山をみて木を見ず、木をみて山を見ず」という言葉があるが、ほんとうにそういう人が現代の日本社会に増えていると思う。 国土の7割が山野といわれている日本で、列島全体を俯瞰してみれば、たしかにどこにでも山野山林がひろがっている。そんな山野を目の前にすれば、そこにどのような樹種が生えていて、樹齢はどのくらいになっているのか。そして、山野全体がどのような歴史と時間がかかっているのか。それらの山野が周囲とどのような関連でなりたっているのか。そうした山野に、たくさんの野生動物が生息していて、彼らは日々どのような生活をしているのか。 ボクは、絶えずこのように関連づけて、目の前に迫ってくる自然界を見てしまう。 たとえば、広島から近畿地方まで中国自動車道をひた走ってみる。 ここで目につく山野は、見事なドングリをはじめとする広葉樹の林ばかりだ。樹齢が30−40年たっていて、いまもっともさかんにドングリ生産も行われている山野にみえる。 これらの広葉樹のある山野は、30年前にはたくさんのアカマツがあった。 そのアカマツ林が、マツクイムシによって全滅をして、現在の姿になっている。 この30年間に、中国・近畿地方の山野は劇的に変化を遂げている、のである。 このようにアカマツから、ドングリ林を主体とする広葉樹に変化したことは、その山中では動物相も劇的に変化をつづけていることであろう。 写真家としてボクは、こうした環境変化にはいつも敏感になって注目したい。 だから、現地に暮らしていれば、「松枯れ」現象時代から今日の姿に移行するまでのプロセスに興味をもち、独自の視点で現在のドングリ林を見つめてみるであろう。 自然界とはそのくらい、日本中のどこでも日々変化をつづけているものであり、全国どこにいてもこうした視点で足下の自然を見て語ることは誰にでもできることだからである。 いや、それを各地でしなければならないのである。 それなのに、中央で発信されることだけが正しいと思い信じ込んでしまって、それぞれの地域の目の前にある自然を独自な視点で検証しようともしない。 日本の自然は一つではないのだから、それぞれの地方独自の見方をしなければならない、のにである。 Webなどをみていれば、現在では動物調査用に市販されている「自動撮影装置」もあるようだ。誰が使ってもそれなりに成果がでる、ようである。 それなのに、まったく結果が見えてこないということは、こんなにも簡単な装置すらも使い切れていないということであろう。身銭も切らない、独自の視点もない、撮影技術も観察技術も磨こうともしない、このような後ろ向きの人にはツキノワグマの行動なんて読めるものではない。 だから、自動撮影カメラをいくら仕掛けても、成果はあがらないものである。 30年間かかって、アカマツ林からドングリ林に大変化を遂げていることにも気がつかないようでは、ひっそりと潜行していくツキノワグマの「けもの道」だって見つけられないであろう。 それなのに西日本の山野からはツキノワグマが滅んでいくような表現ばかりが一人歩きをしていると、これはハッキリいって技術不足なのだと思ってしまう。 地域の自然をほんとうに見つめるには、それぞれの地域でスキル不足を高める努力をしてもらわなければ、ツキノワグマだってほんとうのところは困るからである。 写真上:松枯れのあとの落葉広葉樹のひろがりは、冬期間に山林野環境を遠望すれば一目で分かる。岡山神郷パーキング付近に広がるこの山野だって充分に調査対象になろう。 写真下:クルミの木にツキノワグマが登り、カマドウマがそっと幹下へ隠れる。こんな小さなドラマが日本中の山野では絶えず繰り返されていることだろう。

ツキノワグマの棲む山野は「荒廃」していない 

「奥山が荒廃しているから、ツキノワグマは餌不足で困っている」 「だから、奥山から里へ餌を求めて出てきているのだ」 「奥山がどんどん荒廃しているから、ツキノワグマは絶滅してしまう」 「奥山は、スギやヒノキの人工林になってしまって、ツキノワグマがすめない環境になってしまった」 「里にくるクマは、奥山に放獣しても、荒廃しているから里へでてきてしまう」 「荒廃している奥山には餌がなく、人里には美味しい餌があるから、クマはどうしてもやってきてしまう…」 「奥山の山林荒廃で大切な水資源がなくなってしまうから、クマと共に人間にも危機が迫っている…」 このような論調が、ここ数年のあいだに定説のようになってきている。 テレビ、新聞の論説委員や解説委員までもが、まったく同じ論調である。 だから、「ツキノワグマ 奥山 荒廃」でWeb検索してみると、よくもまあ悲観的論調で同じような言葉しかつかえないホームページやブログがヒットしてくる、ものだ。 これらのページをみていると、いかに付和雷同している作者が、マスコミなど巷間伝えられているところの「言葉」の受け売りをしているかがよくわかっておもしろい。 マスコミにこうした意見を流すのも、自然科学者や専門家たちでなければ、マスコミだって記事にはできないだろう。 ということは、自分自身の目で、目の前にある現在の日本の自然の姿をいかに見切れていない人が多いか、ということである。 だからボクは、こういう記事にであうたびに、日本の自然をたしかな視線で見れない人がこんなにも増えてしまったのだろうかと、嘆かわしくなってしまう。 「山林が荒廃している」というけれど、現在の日本の山野は荒廃なんてしていない。 むしろ、ツキノワグマをはじめとする野生動物たちにとっては、最高に棲みやすいいい条件になっているからである。 そのことに気づかなくて、どうするんだ、といいたい。 山林荒廃とは、林業用語である。 林業関係者が補助金を獲得したいがために、使いはじめた言葉である。 植林した林が、手入れされないまま数十年間も放置されてきたから、間伐も、枝打ちもされず、植林樹木は蔓や雑木に痛めつけられて、山野は荒れるがままだ…。 だから、せっかく「補助金」をもらって植林した人工林が台無しになってしまうから、早く整備費用が「必要」だ、ということである。 これは、山林野を経済的視点だけでみた「荒廃」、なのである。 ツキノワグマやニホンザルは、山野を地上から樹上まで立体的に利用する動物なので、むしろ間伐や枝打ちされた人工的「美林」より、現在の山林野のほうがはるかに餌が多いから大歓迎をしているのである。 ニホンジカやイノシシも、いまの山野のほうが豊富に餌があるから、爆発的に数を増やして現在なおも増殖中である。 だから、この4種は減少には向かっていない、のである。 こうした生物のフードチェーンを見ただけでも山林が「荒廃」しているとはいえず、自然科学者や動物の専門家までもが林業者と同じ論調になってしまうとはいかがなものか。 たしかな視線で自然界を読めない人たちが、「荒廃」という仮想敵をつくってしまって、その後の自然界探求の努力を怠ってしまうことのほうが、ボクには罪といえる。 もう少し、日本全体の山林野と野生動物たちの生態を照らし合わせてみれば、「荒廃」の意味にもおのずと気づくはず、だからである。 写真:どちらも同じ位置から撮影した中央アルプス中腹部にあたる38年後の姿である。    1970年、植林されたカラマツは50cm足らず。それが、38年後には20mに成長している。    しかも、林床にはあらゆる雑木が繁茂して、野生動物たちの餌場を提供している。    当時20歳だった1970年に、ボクは今日を予測して、この写真を撮影していたのだ。    この写真を見て、1970年と2008年では、どちらが荒廃しているといえるであろうか?これが、日本中の山野の現実である。

迷子になったツキノワグマの子供たち

携帯電話が鳴った。 出てみると、隣町に住むタダさぁーからだった。 『おおーーい、ミヤさん、大至急きてくれやぁ。  俺んちの田んぼに、クマだと思うんだけれど、足跡があるんだぁー  オレじゃあ、確認できないから、とにかく確かめてくれやぁー 』 田植えの準備で水を張り、踏ませの済んだ泥土に、足跡は確かにあった。 まちがいなく、ツキノワグマのものだった。 だが、あまりにも小さい子熊の足跡だった、のである。 田んぼはタダさぁの自宅前。 こんなところに、子熊といえどもツキノワグマがやってきていたのだった。 ここで、ふと思ったのは、一昨年(2006年)の秋のこと。 この近所で2頭の子熊を連れた母熊が、殺されている。 母子3頭一緒に、イノシシの檻に入ったそうだ。 それなのに、2頭の子熊は30分ほどのあいだに9cmメッシュの檻から、逃げ出していた。 結局、母熊だけが殺され、子熊の消息は不明になっていた。 その子熊たちが、どうやら生き延びて春を迎えたらしい。 2頭のどちらかは分からないが、母親に連れられて歩き回った場所を、こうして歩いていたのだった。 逃げ出した当初の子熊を目撃した人の話では、それはそれは小さな熊だったという。 体重も、5kgほどしかなかったのではないか。 そんな子熊が母親を亡くして冬を生き延びれるとは、誰もが思わなかった。 だが、2頭生き延びたのか、1頭だけだったのか、とにかくこうして母親と行動を共にした場所をめぐり歩いている、のである。 2007年の5月は、このような子熊の目撃例が相次いだ。 ボクの知る限りでは、中央アルプス山麓7,5kmの直線上で5頭の子熊が目撃された。 それぞれに場所も違い、同一地域で複数回目撃もされていることから、これらは明らかに別々の個体といってよかった。 ボク自身もこのうちの3頭を実際に目撃しているが、子熊たちには一様に落ち着きがなくオドオドとしているという共通した挙動があった。 これは、明らかに母親がいないがために、独りで必死に生きていることを物語っていた。 それも、昼間にかなり目撃されながらも、夜間にもちゃんと行動していたのだから、このことから推しても、母親が各所で殺され子熊だけが逃げていたと思われる。 そして、どこかで震えながら冬を乗り切り、春になって再び母を求め、かつて一緒に歩いた記憶を頼りに、母の思い出さがしをしていたのだろう。 これらの子熊がその後どうなったのか、まったくつかめていない。 夏までに、再びイノシシ檻などにかかり、人間の手に落ちた可能性は十分にある。 また、雄の子熊は、成長した雄グマに殺され「共食い」をされるリスクも大きいから、5頭の子熊たちが何頭生き延びたかはまったく不明である。 2008年の春も、そんな子熊がいないかと注意しているが、今年は巨グマばかりが目立つ年でもある。 写真上:迷いながら歩く子熊の足跡が、田んぼにくっきり残されていた。農家の主人にいわせれば、ときどき母親を捜す子熊の「コッ… コッ… コッ… 」という声が近所から聞こえてくる、という。 写真下:この子熊には、近いところでは10mの距離で会っているが、その目はかなりいじけていて子熊特有の可愛らしさがなかった。性格がねじれたまま大熊にならなければよいが…と、ボクは念じる毎日でもあった。

<ニュースです! H20年3月23日>
森のライブカメラ で、ムササビの赤ちゃんが誕生しました。(3/23日)むささび荘にしかけた巣箱の中で、ムササビ母さんが出産したようです。これからが楽しみですね。
森のライブカメラザ・ベストも更新されています。
森のライブカメラ から作成した動画をYoutubeにて公開中です!コメントもお待ちしてます。
スズメバチがムササビの巣箱に僅か一日で巣を作ってしまうことが、記録されています。この画像は、静止画としてキャッチされたものをつないで、動画にしたものです。(作成/ILLOMENさん)
>>ライブカメラベスト集  2007年8-9月 むささびホテル : ムササビ赤ん坊 蜂の巣事件  はこちらです

森のライブカメラ

写真集が発刊されました!!

「洗剤キャップの棲み心地は?」 ―かわりゆく環境・日本生き物レポート―

写真・文/宮崎 学 理論社

かわりゆく環境・日本生き物レポート
私たちのまわりで、動物たちはどうやって生活しているのか? 写真&文で伝える自然からのメッセージ。 身の回りの自然に目を向けてみよう。自然環境は、人の営みの影響から、日々変化し続けている。写真家・宮崎学の最前線レポート。>>かわりゆく環境・日本生き物レポート ここから購入できます

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